失われた時間      20110701

 

私は、阪神淡路大震災のときに、神戸市深江にて9階建てのマンションの9階立てに住んでいましたが、中層破壊といって5階が10センチほど圧縮され全壊となりました。全壊の被災者となってよくわかりました。被災者の状況を一言でいうと「失われた時間」の問題でした。

 

人間の生活というのは、日々いろいろなことが積み重ねるようにして暮らしていることが本質ではないでしょうか。例えば、家族が団らんの夕食をとること一つには、そのスペースが必要です。また、皆がそろっていなければなりません。食事や飲み物も、水道、電気、ガスがないと料理が出来ません。というように、生活の一シーンのためには、実はすべてがそろわないと成立していないのです。そのために、無意識で日々、人間は積み重ねていっているのではないでしょうか。

 

それが、自然の猛威が一瞬にして住宅、建物、家族、電気、ガス、水道等を奪いさると、私たち人間は、積み重ねることができなくなります。復旧とはそのマイナスになったことを、プラスマイナスまでもっていくことではないでしょうか。そこから、やっと積み重ねることが始まり復興がはじまります。被災者にとっては、時間がとまり、時間が失われてしまったのです。

 

被災者の悲しみに寄り添うことは、大変難しいことです。その失われた時間の大きさには、言葉もでません。

その「時間に対する感覚」なしに、報道は勝手にされ、勝手なイメージが定着していきます。

 

たまたま、今回の東日本大震災の当日には、私の事務所にはハンブルグからのインターンがいました。彼女は福島の原発報道を受け、予定を切り上げてドイツに戻っていきました。

今年もワールドメディアフェスティバルで奥村さんが受賞され、ハンブルグに行くという話しを聞き、その上映会で、ぜひその間違った映像イメージとはちがう、東日本大震災後のいまリアルな我々日本人が抱いているイメージの映像を上映できないかと考え始めました。

 

3.11から約50日後の五月一日は、メーデーです。メーデーの日にヨーロッパにいたことがあるのですが、この日は労働者の祭日で、みな働かずのんびりとしています。この日の日本をうまく映像に残せないか。東日本大震災の悲しみに寄り添うことはできないか。あるいは、積み重ねることを始めた時間を映像にできないかと。

 

できれば被災地を含め、いろいろな人に、日本中いろいろな場所で、撮っていただいた映像をまとめて一本にできないかと。和歌でいうところの詠み人知らずの連歌の形式です。大震災から51日目にあたる5月1日を撮ろう、プロジェクトの映像「My Day, May Day」の企画となりました。

 

この実験映像のプロジェクトは、日本人の時間に対する感覚をうまく映像化できる可能性があると考えています。積み重なっている時間、失われた時間、積み重ねる時間。悲しみに寄り添いながら、前向きに生きていこうとする意思。日本人の自然観や、宗教観が色濃く反映した時間の映像になるのではないかと。5月一日という日に、日本でおきていることを、いろいろな人が映像にする。撮影は、UNKNOWN。無記名の詠み人知らず。

 

 

出来れば、この企画を15年以上毎年続けたいと私は考えています。もっと、被災地に関わっていく必要もあります。深くより多くの人に、時間が積み重なり、復興する姿を映像で伝えたいものです。            石丸 信明